個人的なことなのですが、最近、哲学に凝っています。哲学といっても、ギリシア哲学とかカントとかいった難しいものではなく、仕事や人生に対する姿勢をテーマにした、比較的分かりやすいものです。安岡正篤や中村天風といったものなので、ご存知の方も多いと思います。

 

内容の話を始めるとキリがないのですが、一つだけ英語の勉強と照らし合わせて、頭に残っていることがあります。

 

それは、奇をてらわず、地道に真面目に努力することの価値を説いていることです。こんなことは、誰もが知っている当たり前のことですが、やっぱり、とても大切なことだと思います。

 

今の英語(英会話)を取り巻く環境って、とにかく楽することばかりに目が向いています。○日でマスター出来るとか、○時間でペラペラというようにいかにも短期間で、英語を話せるようになると思えるようなフレーズが溢れています。

 

また、『流しているだけでいつの間にか・・・』とか『寝ている間に』というように、何ら努力することなく英語をマスター出来ると思わせるようなキャッチコピーも並んでいます。

 

でも、実際にこんなウマイ話はないことは明らかです。

 

英語を話せるという人に話を聞けば、結局は地道に努力を続けてきた成果であることが一目瞭然です。何かを得ようとすれば、それに見合う代償が必要です。自分は何もせずに、成果だけを得ようとするのは虫が良すぎます。 

 

ところで、私が不思議なのは、そんなに努力することが嫌なのかなということです。楽して簡単に手に入れても、本当に嬉しいのかなと疑問に感じてしまいます。

 

私が英語の勉強に夢中だったのは、大学生の時なのですが、当時、私の周りには自分の夢を実現するために努力している友人がたくさんいました。

 

そんな友人達とたまに集まって話をするとき、必ず会話に出たのが『大変だけど、ヤメラレナイよね』というセリフでした。なんだかんだ言って、みんな充実していて、毎日を楽しんでいました。

当時のことを思い出しても、結果はともかく、自分の目標を実現するために努力することは、このうえなく楽しいことだと実感できます。

 

この『努力する過程』があるからこそ、自分の夢が叶ったとき、充実感があるのだと思います。これが、いきなり簡単に実現してしまったら、価値を見出せないのではないでしょうか?

 

しかも、英語の場合、努力しただけの成果は必ず得られます。努力すれば何でも上手くいくと言えないのが世の中ですが、有難いことに語学は、努力と成果が正比例します。

 

努力さえしていれば、いつかは必ず話せるようになるのですから、それまでは、その努力を楽しんでみようぐらいの気持でいても、いいのではないでしょうか?努力するのが苦手という人もいるかもしれませんが、本来そんな人はいないと思います。もし、あなたがそうだとすれば、それは、慣れていないだけです。

 

毎日、少しずつ続けていれば、そのうちヤラズにはいられないようになります。最初は苦痛ですが、そこさえ乗り越えれば習慣化します。本当に最初の最初は、ほんの数分でもいいし、やるふりをするだけでもOKです。

 

ただ、焦らないことです。語学で挫折する人の一番の原因は結果を早急にもとめることです。この傾向がある人は努力することだけを目標にするべきです。

 

今日はこれだけやるという目標を決めて、それを毎日繰り返していれば、気がつかないうちに成果が出ていると思います。努力することは楽しい。これが私の実感です。