これは、私が留学していたときにつくづく感じたことなのですが、人とのコミュニケーションにおいて、語学力が果たす役割は決定的なものとはなりません。

 

片言しか話せなくても物怖じしない人は、「なぜ?」と周囲の人間が疑問を抱くぐらい、上手に意思の疎通を図ることが出来ます。

 

一方で、コトバの知識は一級品、ペーパーテストをすればまずトップクラスなのに、全くコミュニケーションをとれない人もいます。ぶっちゃけた話、私がそうでした。完璧な英語を話そうとするあまり、いつも口ごもってしまい、会話を続けることが出来ませんでした。

 

より正確にいうと、自分の言おうとする英語は正しいのかどうか?ということばかりに意識が集中して、肝心の話の中身を考える余裕がありませんでした。

 

当時はこのことに気づくことすら出来ず、流暢な英語を話すことが出来ないのが、コミュニケーションをとれない原因だと思っていました。

 

ちなみに、現在私は普通に英語で会話をすることが出来ますが、英語の知識そのものは当時のほうが遥かにうえです。これは間違いないです。TOEICのスコアでも留学前に900で留学を終えて、戻ってきた直後のスコアが800ですから・・・

 

要するに、小さなことにこだわるな!ということです。

 

もちろん、それが出来ないから苦労するわけですが、この欠点を克服する方法もあります。相手がいても、1人でもいいのですが、自分の言いたいことを英語で表現する練習をするという方法です。一度話を始めたら、最後で話続けます。途中で止まってはダメです。

 

途中で、英語でどういうふうに言えばいいのか、迷うことがありますが、そのときにも、英語を話すのを止めてはいけません。

 

andでもsoでも何でもいいのですが、適当にコトバを口にして、話をつなげます。途中で止まらずに最後まで続けるのがポイントです。

 

この練習を1日3分x3セットぐらいやれば、かなり意識が改善出来るようになります。自分が思う以上に英語を話せることに気がつく人も多いと思います。

 

私は留学中、この練習を無意識に重ねていました。

 

私は留学していたのが大学院、しかも文系だったこともあり、授業は全てディスカッションです。そして、アメリカでは自分の意見を言えない人間は落第です。コトバが話せないという理由は通じません。コトバが話せなければジェスチャーで示せという土壌です。

 

ですから、私も自分の英語が変だとか、間違いだらけとか気にする余裕はありませんでした。とにかく通じればOKという意識でやっていました。コトバの不出来はともかく、話の内容は厳しくチェックされますから、そちらのほうに意識が向かっていたのも好都合でした。

 

そんなことを3ヶ月も繰り返していると、自分の意識は完全に変わっていました。不思議なもので、いつのまにかキチンとした英語を話せるようになっていて、以前は日常茶飯事だった単純ミスも消えていました。

 

正直なところ、たった3ヶ月では、まだおかしな部分もたくさんありましたが、時間が経つにつれ、自然と良くなっていきました。今でも、その傾向は続いているので、一度こういった意識を持てば一生効果が続くのではと思っています。

 

キチンとした理路整然な英語を話せるようになろうと努力することも大切ですが、日本人の場合、意識し過ぎて、足を引っ張る結果になっているような気がします。

 

それを修正するためにも、こんな荒療治をすることをオススメします。何度か続けていると楽しくなってきて、止められなくなりますよ。