英語だけではありませんが、何かを学ぶとき、勉強するときに方法論にこだわる人がいます。英語の場合、『どんなふうに英語を勉強すれば、話せるようになりますか?』ということですね。

 

勉強法は大切なので、正しいやり方を知りたいという欲求は普通ですし、これ自体はいいと思うのですが、あまりにもこだわりすぎるのはどうかと思います。

 

ましてや、勉強法がわからないからといって、いつまでも勉強そのものがスタートできないとすれば、逆効果以外の何物でもありません。

 

いつまでも勉強できないくらいであれば、間違っていてもいいからさっさと始めたほうがよっぽどいいと思います。

 

私は実は、勉強法を誤ってしまった人間です。 (だと思っています。)

 

発音を無視して、英単語をローマ字読みで暗記するという無茶なことを数年間やってしまいました。英語の読み・書きはいいとしても聴く・話すことは当然無理。

 

というより、できることを期待するほうが間違っています。結果として、発音を勉強して、それまで覚えた単語の発音をひとつずつ覚えなおしていきました。

 

運が悪いことに、発音の重要性を初めて実感した当時は既にTOEICで800をクリアしている頃。頭に入っている単語の量は相当なものでした。それを文字通り全部一からチェックするのですから、かなりの手間でした。 (ホント、当時は泣きたかったです。)

 

覚えなおすだけで数ヶ月はかかったような気がします。また、これは発音を覚えてから気がついたことですが、英語の音を認識できるようになると、暗記効率が一気に上がります。

 

音を理解できるからリスニングはもちろん上達しますし、音を正確に認識できると頭に入りやすいんですよね。おかげで、その後は英語が上達するスピードが一気に上がりました。

 

でも、逆にいえば、最初から発音を押さえておけば、上達度そのものが違っていたわけですから、それまでは随分と損をしていたのだろうなと思います。

 

こんな感じなのですが、結果としては英語が話せるようにはなりました。遅くはなったかもしれませんが、それだけです。

 

ちょっと回り道をしただけで、結果としては自分が望んだゴールにたどりついています。

 

ですから、勉強法を間違えたぐらいで失敗することはないと思っています。勉強法が左右するのは、あくまでも効率の問題、『英語を話せるようになる』という結果を左右するほどの力はないです。

 

ちょっと考えてみてください。

 

コトバというのは、読んで聴いて、書けて話せればいいだけです。複雑な勉強法などそもそも必要としないはずです。どんな形でもいいから、英語に接することが何よりも大切なような気がします。本当にそれだけでいいのではないでしょうか?

 

それから最後に、私の例でいえば、実際に勉強していたからこそ、発音の必要性に気がつきました。勉強する前にあれこれ考えても、当時の自分を振り返ってみると、結局は同じミスをしたような気がします。失敗したからこそ気がついたことです。

 

そう考えると、何よりも行動すること。これに尽きると思います。実際、どんなふうに勉強したらいいかわからないという人でも、とにかく英語を聴いたり、暗記したりといった何かをすると、自然と勉強のやり方もわかってくると思いますよ。