英語を勉強するときに、どんなふうにしてやればいいのか?というのは、結構重要なことです。私などは勉強方法に関して言えば、非効率的なやり方をしてしまったなと感じているほうなので、どんな勉強法がベストなのだろうというのは気になります。
一応、自分なりの方法を持っているので、少しずつホームページやこのメルマガでも紹介していこうかなと思っています。
ただ一方で、勉強方法はあくまでも手段であって、英語をマスターする、しないの決定的要因にはならないと思っています。少しくらい勉強方法が間違っていたって、勉強を続けていれば、どうになかなるだろうという考えです。
これって、こんなふうに考えると分かりやすいかなと思います。
例えば、東京に住んでいる人が大阪へ行こうとすると、色々な手段が考えられます。飛行機もあれば、新幹線もあるし、バスもあれば、自分で車を運転していく方法もあります。普通、移動にかかる時間とお金を考えて、どの手段が最適なのか考えます。
でも、当たり前の話ですが、どれだけ東京、大阪間の移動手段に詳しくなったとしても、実際に出発しなければ何時までたっても辿り着くことは出来ません。
反対に、実際に出発した人は、方向を間違わない限り、絶対に辿り着きます。たとえ、歩いていったとしても、時間がかかるだけで、辿り着くことには変わりありません。
つまり、移動手段についてアレコレ考えて行動しない人よりも、さっさと出発した人のほうが、目的地に辿り着く可能性が高いということです。
語学の勉強の場合って、もっと単純です。
どこかへ移動するときは方向を間違えれば、目的地から遠ざかることもありますが、勉強の場合、そんなことはありません。どんな方法であれば、やればその分、必ず前へ進みます。遠ざかるなんてことは絶対ありませんので、とにかくやるという人は有利です。
私は先ほど、自分が勉強法を間違ったと書きました。これは事実だと自分で思っていますが、それでも少し人より時間がかかっただけで、それなりに話せるようになりました。多少の回り道をしたぐらいです。
最初から最適なカリキュラムで勉強していれば、数年早く英語を話せるようになったかもしれませんが、数年遅れて困ったことも特にないので、時間がかかる、かからないはあまり気にする必要もないような気がします。
効果的な勉強法を学ぶことも大切です。でも、それは学んだことを実際に使ってこそ意味があるということを肝に銘じておく必要があると思います。
どんな優れた勉強方法であっても、それだけでは意味がありません。宝の持ち腐れにならないように気をつけましょう。