先週のコラムで、英語を話せるようになるには、数多くの単語を覚えるのではなく、一つの単語を深く理解するほうが良いという話をしました。

 

今週は、その考えを抱くきっかけとなった、ある体験に関してお話します。私の英語学習に関する価値観が全て塗り替えられた(私にとっては)衝撃的な体験です。それは、7年前、私がアメリカへ留学して、すぐのことでした。

 

私が留学した場所は、日本人留学生が多いカリフォルニアだったのですが、それはあくまでも語学留学生の話であり、正規留学している日本人はとても少なく、同時期に留学したのは4人だけでした。

 

今回のコラムの主人公は、そのうちの一人、ヒロというニックネームを持つ、私より二つ下の男子生徒です。

 

彼は、中学卒業後、名古屋のアメリカンスクールへ進学していました。最初の1年は日本で勉強して、残りの2年間はアメリカの本校で勉強していたということで、とても流暢な英語を話していました。

 

現地の学生とも流れるようなテンポで会話を交わしていたのですが、私にとって不思議だったのは、彼の話すコトバがとても短いフレーズだったということです。短いフレーズを幾つも立て続けに口にして会話をしていました。

 

また、口にするコトバは日本人であっても、誰もが知っているような優しい言葉だけだったような気がします。気がするというのは、残念なことに当時、私はナチュラルスピードの英語を聴き取ることが出来ず、彼の英語も一部を聴き取るのが精一杯でした。

 

彼はすぐに別の学校へ編入してしまい、それ以来会っていないので、どんなフレーズを話していたのが永遠のなぞです。(ちょっと、これは心残りです。)

 

ここまでのことは、私にとって何ともないことで、『英語が話せてスゴイな』と感心しているくらいでした。ところが、大学の授業が始まりだそうとする頃、その出来事がおこりました。

 

ある日、大学に行くと、ヒロが深刻な表情で友人と話をしています。何か相談をしているようです。本人からその内容を聞いたとき、驚きました。TOEFLの基準点に届かず、大学の授業の大部分をESLコース(語学コースのことです)のクラスを受けなくてはいけなくなりそうということでした。

 

アメリカンスクールを卒業したといっても、ヒロは日本人ですから、当然TOEFLを受けなくてはいけません。その大学では550点(TOEICで730ぐらいです)が基準点だったのですが彼の点数は500前後で、このままでは英語の補習授業を受けなくてはいけないという話でした。

 

それで、どうすればいいのか、大学の留学課や友人に相談しているということでした。私にとっては、これは皮肉たっぷりのコメディーを観ているようでした。資格に踊らされている人間を皮肉るコメディーです。

 

彼の問題は、英語のコミュニケーション能力を図る試験で最低限必要とされるレベルをクリアしていないということです。ところが、それに悩んでいる人間が、その悩みについて英語で普通に相談しています。この時点で、すでにコミュニケーション能力は証明されています。

 

この問題は、決して彼一人の問題ではありませんでした。十分英語を話せる能力があるのに、TOEFLの基準点に届かず大学の授業を受けられない留学生が続出していました。

 

一方で、TOEFLの点数は抜群なのに、いざ授業となったら全くダメで、ドロップアウト寸前という学生も多数いました。私もその一人だったのですが、矛盾もいいところでした。

 

そのとき、私はテストで高得点をとるだけではダメなんだと思い知らされ、そこから必死で、日常会話の練習に取り組みましたが、最初から最後まで、新しい単語を覚えることはありませんでした。

 

『この単語はこんなふうに使えるんだ!』

 

一方で、こんな驚きがなくなることはありませんでした。全く方向性の違う勉強をしたというのが実感です。

 

あとから気づいたことですが、TOEFLやTOEICで高得点をとるコツと日常的にコミュニケーションをとるために必要なことは一致しません。だから、このようなことがおきているのだと思います。

 

この経験がベースで、先週のコラムのような考えを持つようになったということです。