今日はアメリカではハロウィーンです。みんなで仮装して、子供はお菓子をもらいに近所を歩き回る、あのハロウィーンです。『Trick or Treat』のコトバは、聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?

 

ところで、このハロウィーン、私にとっては別の意味で非常に印象に残っています。

 

もう10年ぐらい前の話になると思いますが、ハロウィンの日に仮装した日本人留学生が、強盗と間違われて射殺された事件がありました。

 

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/nihonjin.htm
(コレですね。)

 

当時、私は日本でこのニュースを見ていたのですが、そのなかで『(銃で)撃たれて当然』というのがアメリカ人の一般的な考えであるという報道を聞いて、ショックを受けたことがあります。

 

実際には、アメリカでも、この事件を機にある程度銃規制が進んだりしたので、全ての人がこう考えているとは言えないのですが、いずれにしても、『撃たれて当然』という考えは、私には到底理解出来ないことでした。何もそこまで・・・というのが私の正直な気持ちでした。

 

その数年後、私はアメリカに留学したのですが、アメリカに暮らしているうちに、この『撃たれて当然』という考えを少しは、理解出来るようになりました。

 

私が留学していたサン・ディエゴという町はアメリカのなかでも最も安全な町と言われていました。しかし、それでも身に危険を感じる事件はしょっちゅうおこっていました。

 

よく行くショッピングセンターで強盗事件があったり、日常的に利用する銀行で爆破未遂事件があったり・・・一番ショックだったのが、当時住んでいた家から、数ブロック先で強盗があって、一家全員が射殺されたということでした。

 

こういった事件があったからといって、日常生活で恐怖を感じたり、怯えて暮らすなんてことは全くないのですが、自然に安全管理というものに対する意識が芽生えてきます。

 

そこで、先ほどの日本人留学生の射殺事件ですが、もし私が同じ状況にいたならば、間違いなく発砲していたと思います。銃をつきつけて、『止まれ』と叫んでいるにも関わらず、相手が近づいてきたとしたら、身の危険を感じずにはいられないです。

 

どう考えても、相手がまともな人間だとは想像できません。

 

でも、この考えって、アメリカに住んだことのない日本人には理解出来ないのではないでしょうか?

 

留学する前の私がそうでした。ハロウィンだからふざけていただけと気づかなかったのか、銃を本物と思えるわけがないじゃないか、freezeなんてコトバを使わずにstopと言えばよかったんじゃないか、というように思っていました。

 

しかし、こういう考えは、アメリカ人は理解できないと思います。

 

私が言いたいのは、どっちの考えが正しいとか、理論的であるということではありません。住む環境によって、これだけ考え方に違いが生じるということです。

 

外国の人とコミュニケーションをとるということは、違う考え方をぶつけあうということです。当然、付き合いが深くなればなるほどこの差が顕著に現れてきます。

 

表面上挨拶をして、簡単な自己紹介程度だったら問題ありませんが、親しくなって、自分の気持を表現するようになると、必ず摩擦が生じます。生じないほうがおかしいです。

 

そのとき、自分の考えと違うからということで、相手を拒絶してしまえば、そこで終わりです。外国人と意志が通じ合うことはないと思います。

 

だからと言って、相手のコトバを全て受け入れて、自分の考えを捨ててしまうのもダメなので、そこが難しいのですが・・・

 

自分の考えは自分の考えとして持ちつつも、自分の考えと異なる意見を持つ人間を受け入れる。自分が理解出来ないから、おかしいというのは傲慢な考えです。

 

コレが出来ないと本当の意味でのコミュニケーションは出来ないままだと思います。もちろん、これは外国人相手だけではなくて日本人同士でもそうだと思いますが。